学究:徳富蘇峰(44)関連史料[43]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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69.1908年(明治41年) 11月 26日 「●ヘヂン博士の席畫(三井家の午餐會)」

全文引用↓

「廿五日午前ヘヂン博士は三井家の依賴に應じ三井銀行に赴きて講演をなしたるが聴者は同店員の外、日本銀行及正金銀行員等なりき午後一時より三井集會所に於て博士に午餐を呈せり主人側は男爵三井八郎右衛門同元之助、同三郎助三氏の外益田孝、高橋義雄、波多野承五郎、團琢磨の諸氏、陪賓はワーレンベルグ侯、花房子、岡田文部次官、和田維四郎、大森大學教授、井上地質調査所長 福澤捨次郎、箕浦勝人、大岡育造、徳富蘇峰、志賀矧川、黒岩涙香等の諸氏にて主客二十四人三井男の挨拶に對しヘヂン博士の愛嬌ある答辭にて一同三鞭を傾けたる後、別席に移り餘興として春山、江亭兩畫伯の揮毫あり繪畫の趣味に乏しからぬ 博士は熱心に之を眺めつヽありしが遂に迫られて一葉の絹本に對し何の苦もなく筆を馳せたる其結果は勇悍らしき西藏兵の鎗を手にして立てるもの忽ちに出現せしかば一同期せずして拍手し其多能に驚き合へり斯くて午後五時より博士は講演の爲め華族會館に赴きぬ」

⇒スヴェン・ヘディンの動向を追った記事。ヘディンについては「学究:徳富蘇峰(42)関連史料[41] - 学究ブログ(思想好きのぬたば)」を参照。

 今回の記事では、ヘディンが三井家の依頼・招待に応じて、三井銀行における講演、三井集会所における午餐に足を運んた模様が描かれている。徳富蘇峰は、陪賓の一人として名を連ねる。

 午餐のあとは、「春山、江亭兩畫伯の揮毫あり繪畫」を鑑賞し、それに触発されたヘディンは一葉の絹本に、スラスラと鎗をもつ西藏兵を描き、他の参会者を驚かした。

 午後五時からは華族会館においても講演があったようである。

 午餐の主人・陪賓メンバーの中から幾人かを取り上げて、簡単な紹介を行う。

 波多野承五郎は、三井銀行において理事、監査役等を務めた人物。詳しくは「

波多野承五郎 | 近代日本人の肖像」を参照。

 和田維四郎については「和田維四郎 | 近代日本人の肖像」を参照。

 福澤捨次郎は、明治から大正期に活躍したメディア人で、福沢諭吉の次男として生をうける。ボストン大学工学部へ留学後、山陽鉄道技師となる。父・諭吉の没後、「時事新報」社長を継ぎ、「大阪時事新報」を創刊する。紙面改良策として漫画の採用を試みたことで知られる。

 箕浦勝人については「学究:徳富蘇峰(22)関連史料[21] - 学究ブログ(思想好きのぬたば)」を参照。

 志賀矧川は志賀重昂のこと。

 

*和田維四郎関連書籍:日本鉱物文化語彙攷 (研究叢書)

 時事新報関連書籍:漫言翁 福沢諭吉―時事新報コラムに見る明治

          近代日本のメディア議員