学究:高嶋米峰(56)関連史料[55]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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71.1926年(大正15年) 7月 17日 「廢娼運動の三恩人 矯風會と廓清會が招待」

全文引用↓

「公娼廢止運動に力を注いでゐる婦人矯風會と廓清會では明治三十三年名古屋において自らは楼主側の暴力に血にまみれながら遂に自由廢業の端緒を開いた宣教師ユー・ヂ―・モルフイ氏が去る五月中旬再び來朝し近く上京するのを好機として同氏および同年東京に起つた自由廢業問題に力を盡し、娼妓取締規則の發布となり、法令上に娼妓の自由を確保するに到らしめた當時の警視廰第二課長松井茂博士並に多年この運動に盡し來れる山室軍平氏の三恩人を來る二十三日午後五時より青山會館に招き歓迎晩餐會を開く事になつた、尚その會の後同所に午後七時右三氏および高島米峰氏の演説會を開き公娼制度撤廢を叫ぶことになった」

⇒1926年5月中旬の宣教師・モルフィの再来日を契機として、彼と同じく「娼妓の自由廃業運動」「廃娼運動」に力を尽くしてきた「松井茂」と「山室軍平」を、7月23日午後5時より青山会館に招いて、歓迎晩餐会を開くことになった模様を伝える記事。この会では午後7時から、モルフィ、松井茂、山室軍平の三人(記事の言葉を使えば「廢娼運動の三恩人」)及び高嶋米峰による、公娼制度撤廃に関する演説が行なわれることになっている。
 記事中の「モルフィ」とは、ユリシース・グランド・モルフィという名のアメリカの宣教師で、1893年に初来日をし、日本のメソジスト教会で活躍した。しかし、1908年に胸の病を患って帰米する。1926年の再来朝ということは、約20年ぶりの日本であったということができる。
 記事中にもあるように、モルフィは1900年から名古屋にて廃娼運動を開始・展開して、娼妓の自由廃業の端緒を開いた人物である。まさに、「廢娼運動の三恩人」と呼ばれるにふさわしい。

 松井茂は、明治から昭和前期に活躍した内務官僚。警視庁第一部長時代に日比谷焼打事件の鎮圧指揮をしたことで知られる。また、救助はしご車・救急自動車の導入や警察法の立法に努め、その関連で(上記にもあるように)「娼妓取締規則の発布」にも奔走した。

 

*松井茂関連書籍:警察の社会史 (岩波新書)

         歴代閣僚と国会議員名鑑 (1978年)

 メソジスト関連書籍:日本メソヂスト教会史研究