学究:徳富蘇峰(56)関連史料[55]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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81.1909年(明治42年) 8月 17日 「●臼井横井二氏の服役」

全文引用↓

「臼井哲夫、横井時雄の二氏は昨日午前九時三十分控訴院檢事局に出頭し石井書記より執行を受け同十時囚人室に入り此處にて見送りの安達謙藏、徳富猪一郎、安部充家其他諸氏に告別し東京監獄に護送されたり兩人の滿期出獄は臼井氏は來年六月十五日横井氏は來年一月十五日なり」

⇒臼井哲夫と横井時雄の二人が、1909年8月16日午前9時30分に「控訴院検事局」に出頭し、囚人室を経て、東京監獄に護送された模様を伝えた記事。各々の満期出獄は、臼井の方が1910年6月15日、横井の方が1910年1月15日となっている。

 私は以前「学究:徳富蘇峰(50)関連史料[49] - 学究ブログ(思想好きのぬたば)」内において、臼井及び横井が罪に問われた、「日本製糖汚職事件(「輸入原料砂糖戻税」という期限つき法律の期限延長を求めて、有力衆議院議員への贈賄が行われていた事件)」について触れた。その時取り上げた記事の時点(1909年(明治42年) 5月 7日)で、横井は監獄に収監されていることになっていたため、今回の記事(1909年(明治42年) 8月 17日)が伝えている情報との間に齟齬が生じているように見える。おそらく、「日本製糖汚職事件」が発覚されたことで横井が「拘禁」時点では、東京監獄とは別の施設に「収監」されていたのではないかと推測できる。そして、改めて石井書記による執行後に「東京監獄」に「収監」されるに至った。
 臼井・横井の見送りにきている「安達謙藏」は、明治から昭和前期に活躍した政治家。三浦梧楼指導の閔妃暗殺事件に協力し連座した過去をもち、第7回総選挙で初当選後、14回連続当選を果たした。これに加え、第12回総選挙で立憲同志会の選挙長に就任し、党を大勝させたことから、徳富蘇峰から「選挙の神様」と評される。(邦字新聞『朝鮮時報』や諺文(げんぶん、ハングルのこと)新聞『漢城新報』の発行者としても知られている。)

 

*安達謙蔵関連書籍:昭和の政党 (岩波現代文庫)

          日本近代史 (ちくま新書)

          政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)

          昭和戦前期の政党政治―二大政党制はなぜ挫折したのか (ちくま新書)