学究:徳富蘇峰(30)関連史料[29]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

____________________________

55.1907年(明治40年) 9月 27日 「●國民後援會行賞」

全文引用↓

「戰役中國民後援會幹部にありて斡旋盡力したる左の十一氏に對し三十九年四月一日付を以て昨日行賞の御沙汰ありたり

 徳富猪一郎 金森通倫

 黒岩周六

明治三十七八年事件の功に依り金杯一個を賜ふ

 原田十衛 村松恒一郎

 宮川鐡次郎 圓城寺清

 繁野珠城 石川安二郎

 上島長久 大谷誠夫

明治三十七八年事件の功に依り金三百圓を賜ふ」

⇒ここでいう「戦役」とは、おそらく日露戦争のこと(史料中に「明治三十七八年事件」とあるため)。「國民後援會」の幹部として、戦争への支援に尽力した者に、政府から表彰がなされている。

 金森通倫(かなもりみちとも/つうりん)は、明治から昭和前期に活躍した日本の宗教者。熊本バンドのメンバーで、熊本洋学校卒業後、同志社に入学、新島襄から受洗を授かる。一牧師としての慎ましい活動から同志社大学設立運動、大蔵省嘱託としての貯蓄奨励運動、ホーリネス教会入会後の「百万人救霊運動」など、様々な運動に参画した。

 原田十衛は、明治から昭和前期に活躍した政治家(立憲政友会所属の衆議院議員)。熊本に生れ、中江兆民の仏学塾に学び、自由通信社主筆となる。文部・司法・大蔵大臣のもとでの秘書官などを経て、議員となる。また、日本博覧会理事、熊本米穀取引所理事長なども歴任した。

 村松恒一郎は、立憲民政党所属の衆議院議員。上記の原田と同様に、記者時代(村松の場合は、東京朝日新聞など)を経て、政治家となる。自ら『大国民』という雑誌を発刊し、日刊大東通信社の社長も務めた。

 圓城寺清に関しては「円城寺清 | 近代日本人の肖像」を参照。

 石川安次郎(文中では「安二郎」になっている)については「学究:徳富蘇峰(27)関連史料[26] - 学究ブログ(思想好きのぬたば)」を参照。

 史料中を通してうかがえるのは、記者・ジャーナリズム時代を経て、政治家の道に進むという流れである。徳富猪一郎、原田十衛、村松恒一郎、石川安次郎がそれに該当する。