学究:徳富蘇峰(52)関連史料[51]
前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。
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77.1909年(明治42年) 5月 27日 「●首相邸午餐會」
全文引用↓
「桂總理大臣は廿六日官邸に於て來朝中のタイムス外報主任チロル同北京特設通信員モリソン兩氏の爲めに午餐會を催し左の人々を招待せり
英國代理大使ラムポールド氏、松方侯、林伯、福島中將、後藤男、齋藤男、高橋男、石井次官、若槻次官、長谷場議長、添田興銀總裁、柴田内閣書記官長、倉知政務局長、萩原通商局長、清野滿鐡理事、アニソン氏、プリンクリー氏、徳富猪一郎氏及我社の土屋元作」
⇒桂太郎首相が、日本を訪れている『ロンドン・タイムズ』のチロルとモリソンを招いて、午餐会を開いた模様を伝えた記事。チロルとモリソンについては、前回の記事(⇒学究:徳富蘇峰(51)関連史料[50] - 学究ブログ(思想好きのぬたば))を参照。
午餐会に招待された人物のうち、幾人かをとりあげてみる。
「添田興銀總裁」とあるのは、添田壽一のこと。添田は、明治から昭和期に活躍した大蔵官僚で、金融部門において台湾銀行頭取、日本興業銀行総裁を務めた。また、他分野においても中外商業新報社長、報知新聞社長、勅選貴院議員などを務めた。
「清野滿鐡理事」とは、清野長太郎(せいのちょうたろう)のこと。清野は、明治から大正期に活躍した内務官僚。秋田県知事や満鉄理事、兵庫県知事、神奈川県知事などを務める。兵庫県知事時代においては、社会事業政策として職業紹介所の設立に努めた。関東大震災における復興局長官に就任したことでも知られている。
土屋元作は、明治から昭和前期の新聞記者。早稲田専門学校に学び。のちに福沢諭吉に私淑。時事新報社、大阪毎日、大阪朝日、国際通信社等、様々なメディアで勤務し、その経験が買われ大阪時事新報社主筆となる。
*添田壽一関連書籍:日本のエコノミスト (1984年) (エコノブックス〈6〉)
桂太郎関連書籍:桂太郎―予が生命は政治である (ミネルヴァ日本評伝選)