学究:高嶋米峰(51)関連史料[50]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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66.1925年(大正14年) 12月 8日 「國民的『建國祭』來春から擧行す 全國の鎮守の森や公會堂等で簡素に」

全文引用↓

永田秀次郎氏や日本青年館理事の丸山鶴吉氏等によつて企てられてゐた建國祭はいよいよ大體まとまりを見たので七日午後二時から青山外苑日本青年館で準備委員有志約百名、集まつて準備總會を開いた、頭山滿翁、長岡將軍 高島米峰、加藤咄堂、平沼騏一郎諸氏の顔も見○た、建國祭宣言書から實行方法などスラスラと解決されたのでいよいよ來春二月十一日の紀元節を期し全國的に建國祭をあげることゝなり直にこの宣傳や準備に取りかゝることに話がまとまつて閉會した
 それによると東京では最も盛大に行ふはすで當日宮中にて紀元節御擧式の時刻を期して市内外の在郷軍人會、青年團、少年團、學生團から勞働思想、教化、婦人等の凡ゆる團體が参集して簡單で力強い式がつづき同時刻全國各地でも鎮守森や公會場でそれぞれに式をあげるのである」

⇒1926年の2月11日に挙行予定の「建国祭」に関する記事。

 「建国祭」は、永田秀次郎や丸山鶴吉らによって提案・準備されていたもので、その最終段階としての「準備総会」が、青山外苑日本青年館で行なわれた。「準備総会」では、建国祭宣言書や実行方法の中身や、紀元節の日に全国規模で建国祭を行うことが決定された。会には、頭山満、長岡外史、高島米峰、加藤咄堂、平沼騏一郎らも参加していた。

 永田秀次郎については、永田秀次郎 | 近代日本人の肖像を参照。

 丸山鶴吉については、丸山鶴吉 | 近代日本人の肖像を参照。

 上記にある長岡外史は、明治から昭和前期に活躍した軍人・政治家。大本営参謀次長(日露戦争時)や陸軍中将、軍務局長、衆議院議員などを務めた。また、スキー技術を日本にはじめて紹介した人物としても知られる。(長岡外史の玄孫には、芥川賞作家の朝吹真理子がいる。)

 「建国祭」には、在郷軍人会、青年団、少年団、学生団、労働関係、教化関係、婦人関連など、あらゆる団体の協力が呼びかけられている。

 

永田秀次郎関連書籍:幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで (講談社学術文庫)

 丸山鶴吉関連書籍:植民地帝国人物叢書 25(朝鮮編 6) 在鮮四年有余半

 長岡外史関連書籍:日本近現代人物履歴事典 第2版