学究:徳富蘇峰(24)関連史料[23]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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47.1905年(明治38年) 1月 16日 「●ハリス博士歓迎會」

全文引用↓

「日韓兩國の基督教傳道監督として北米合衆國より渡來せるハリス博士の歓迎會は一昨日午後二時より神田青年會館に於て開かれたり參會者千餘名にて最初に祈祷及び音樂の合唱あり次に平岩恒保、徳富猪一郎、島田三郎、尾崎行雄四氏順次登壇何れも博士が三十餘年前より日本人を敬愛し日本人の爲め盡したる同情は感謝する所にして博士は貌こそ米國人なれ心は日本人なり否日本人よりも日本人なりと博士の同情を讃美し最終に博士は拍手聲理に登壇し日本語を以て一時間餘に渉る壯快なる演説を爲し五時半散會したり米國公使は伏見宮殿下奉迎の爲め横濱に行きしにより出席せずとの挨拶ありき博士の演説の大要に曰く
 諸君、私は今日此盛なる歓迎を受けまして感謝に堪へませぬ私は感謝の意を表する爲に不完全ながら日本語を以て一場の演説を致しますドウか其の意のある所を御聞取り下さい
 私は今を距る三十二年前に日本國の風光及び人情歴史を慕ふて此大和の國に參りました其頃は日本に於て英米の書物を見たいと思ふて捜索したが僅に英人の著はした書物が一冊ありしのみでありました元來私が最初より日本で生涯を送る積で參りましたが故あつて歸國することとなりましたが其後紐育へ行きますると日本人の著はした書物も澤山にある又西洋人の著はした書物も今日では日本の圖書館などでも殆ど其多數を占て居ります三十二年前の日本を回顧致しまするとマルで別世界の様な感じが起ります日本の文明、日本の進歩と云ふものは實に非常なもので斯る進歩發達は世界無比であります
 昨年十一月私が日本に參ります時に或友人が云ふにはお前は米國と云ふ故郷があるのにワザワザ日本の墓場に死に行くのかと、私は之に答へてイヤイヤ日本は我の墓場ではない我は三十二年前に日本に行き日本で生涯を送らうと決心したのであるからまた日本に歸るのだと申しました私は幼少の時より歴史を讀み東西古今の英雄豪傑などは皆私の胸中に呑んで仕舞つた、日本に參りました時も日本の大和魂を持てる人々を呑む積りでありましたが到頭大和魂に呑まれて仕舞ました(大拍手)
 私が今回の日露戰争にも日本に同情を寄せまするのは日本が露國を征するのは正義であるからである、元來露國は我米國とは人種及び宗教も一つであれば日本に同情を寄せるは人情の自然であるが露國は人道に背きて戰争を起したれば基督教の本義に背いて居るから我々人類の敵として同情を寄せることは出來ませぬ併し戰争は悲しむべきもので彼の南北戰争の時には四年の間に我が米國の同胞は五十萬も死ました私は日露の戰争に際し其多くの軍人が戰死しまするのを聞く毎に悲慘の感に堪へませぬのであります日露の戰争も日本は正義を以て闘ふのでありますから其終局の勝利を得ることは明白であつて西洋人特に我米國人は日本の文明的戰争を稱讃して居ります
 終りに臨んで一言致したきは日本は既に世界の強國たる英國と同盟の條約を締結して居るが我米國とは未だ表面上同盟の條約を結ばざれども其厚き交際は既に離るべからざるものと成つて居る故に私は將來我米國は日本と益々親密なる交際を結び他日表面上の同盟を爲し日米英三強國が鼎足の形を以て世界に立たば如何なる強敵と雖も恐るヽに足らず世界の平和を保つことが出來得ると信じて疑ひませぬ、私は老年にして頭髪已に雪の如くなれど滿場の青年諸君の力を借り益兩國の爲め盡したいと思ひます
猶私は日本及び朝鮮に於ける基督教傳道を監督たる責任を全うする爲に日本人も朝鮮人も一つの人種なれば人道の爲め滿腔の赤誠を以て働かうと思ふのである云々」

⇒まず題にある「ハリス博士」とは誰なのかについて考える。「日韓兩國の基督教傳道監督」「北米合衆國より渡來せる」という紹介から、キリスト教関係の人物でアメリカ出身の人物であることが分かる。また、日本人キリスト教者によって「歓迎会」が催されるほど尊敬される人物でもある。そこから推察して、この「ハリス博士」とは「メリマン・ハリス」(1846年7月9日 -1921年5月8日)である可能性が高い。

 メリマン・ハリスは、メソジスト監督教会の宣教師として明治6年から日本でキリスト教伝道を開始した人物で、親日家として名高い。日本での主な活動としては、ウィリアム・スミス・クラークの依頼により、札幌農学校卒業生のキリスト教指導を行なったことがあげられる。ハリスに洗礼を授けられた人物としては、佐藤昌介、大島正健(以上、第1期生)、内村鑑三新渡戸稲造(以上、第2期生)らが知られる。また、アメリカ・サンフランシスコのリバイバルで救われた日本人による伝道団体「ちいさき群」のメンバーである笹尾鐵三郎や河辺貞吉を信仰の道に導いたことでも知られている。

 今回の史料で徳富猪一郎らは、ハリスを「貌こそ米國人なれ心は日本人なり否日本人よりも日本人なり」と評して讃美し、それに対してハリスは日本語で応答している。その応答(演説)内容を以下に纏めてみる。

○今(註:1905年)から32年前に、日本国の風光・歴史に憧れて日本にやってきた。来た当時は、日本にはほとんど西洋の書物は存在しなかったが、今では図書館などで多くの本に触れることができる。日本の進歩には脱帽する。

○日本で生涯を送ることを決意したのは、自分が大和魂にすっかり呑まれたという経験をしたから。

○「私が今回の日露戰争にも日本に同情を寄せまするのは日本が露國を征するのは正義であるからである」「彼の南北戰争の時には四年の間に我が米國の同胞は五十萬も死ました」。本来戦争は悲しむべきものだが、正義をもって戦う日本のことは応援する。「西洋人特に我米國人は日本の文明的戰争を稱讃して居ります」。

○日本が英国とだけ同盟を結んでいるのは悲しい。「將來我米國は日本と益々親密なる交際を結び他日表面上の同盟を爲し日米英三強國が鼎足の形を以て世界に立たば如何なる強敵と雖も恐るヽに足らず世界の平和を保つことが出來得ると信じて疑ひませぬ」。

○「日本及び朝鮮に於ける基督教傳道を監督」する立場として、人道のために全力を尽くすことを誓う。

 

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