学究:徳富蘇峰(27)関連史料[26]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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51.1906年(明治39年) 10月 13日 「●叙任辭令」

一部引用↓

「依頼國語調査委員會委員被免 徳富猪一郎」

⇒内容は史料の通り。徳富と「國語」の関係性については考察していきたい。

 

52.1906年(明治39年) 11月 22日 「●基督教金曜講演會」

全文引用↓

 「神田美土代町なる東京基督教青年會は今度金曜講演會と云ふを設け學生生活問題を主題とし左の順序に依り明廿三日を初會とし毎金曜日を以て六回に渉り講演を開く由聴講券は一回金五錢六回分切符金二十錢なり
第一回 十一月二十三日(金曜)午後七時
勉學の慣習と時間の活用 東京毎日新聞記者 石川安次郎
第二回 十一月三十日(金曜)午後七時
潔行          醫學博士 男爵 高木兼覧
第三回 十二月七日(金曜)午後七時
意志の力と自立     人民新聞主筆 豐崎善之助
第四回 十二月十四日(金曜)午後七時
課程外の讀書      國民新聞主筆 徳富猪一郎
第五回 十二月二十一日(金曜)午後七時
娯楽と運動       早稲田大學講師 安部磯雄
第六回 十二月二十八日(金曜)午後七時
節制          日本禁酒同盟會會長 安藤太郎」

 ⇒「東京基督教青年會」が「學生生活問題」をテーマに「金曜講演會」を開催したという記事。計六回講演が行われている。

 石川安次郎は、『庚寅新誌』、『信濃日報』、『中央新聞』、『東京毎日新聞』、『報知新聞』、『東京朝日新聞』、『萬朝報』など、様々な雑誌・新聞で活躍したジャーナリスト。「政界ゴシップの天才」と呼ばれる。『報知新聞』時代に、記者として義和団の乱に従軍し、中支那の外交機密を紙面上で発表して世間に衝撃を与えた。また、ポーツマス会議の取材にも取り組む。幸徳秋水田中正造との交流もある。彼が「勉學の慣習と時間の活用」という講演を行ったという事実は、大変興味深い。

 高木兼覧については「高木 兼寛|宮崎県郷土先覚者」を参照。

 「豐崎善之助」は、1898(明治31)年10月結成の「社会主義研究会」の結成メンバーの一人。その他のメンバーには、村井知至・河上清・幸徳秋水片山潜などがいる。