学究:徳富蘇峰(41)関連史料[40]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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66.1908年(明治41年) 11月 3日 「●説文會臨時大會」

一部引用↓

「一昨日上野公園東照宮社務所にて開きたる説文會大會は天氣の豫想外に快晴なりしが如くに豫期以上の盛況を呈したり陳列品は漢字研究に要する古書舊籍篆○文拓本の類五百餘點に達し來會者は土方久元伯、白鳥、市村、狩野、木村、星野、大槻、井上(賴圀)、坪井、小杉、元良の十博士和田英松、市島謙吉、土屋弘、小柳司氣太、河田羆、關根正直、大野酒竹、徳富猪一郎、赤堀又次郎大槻如電、日下寛、丸山正彦氏等漢字研究に趣味を有せる學者識者の萃を抜きて無慮四百六十餘人に及び就中米國人ブイ氏ミツトアー氏が仔細に陳列品を展観し居たりしは異彩なりき豫定の如く午前中に許慎棭齋以下説文研究者の神式祭奠を終り午後には高田忠周氏十數年の丹精によりて研究し得たる結果に就き二時間以上に渉る精博なる講話をなし重野文學博士亦漢字研究の必要なる旨を説きて點燈頃閉會せり(以下、省略)」

⇒11月1日に開催された「説文會大會」の様子を伝えた記事。この大会では、漢字研究において重要となる史料群が陳列されたようである。よって、大会への来会者には、多くの「漢字研究に趣味を有せる學者識者」が名を連ねた。米国人も展観したようである。また、明治から昭和期に活躍した説文学者で、『五體字類』の監修者として知られる高田忠周による、二時間以上にわたる研究発表もなされたようである。最後に、日本における実証主義歴史学の提唱者・重野安繹の「漢字研究の必要」論が語られた。

 ちなみに「説文」とは、『説文解字』の略で、中国最古の字書。後漢の許慎(記事中にも名前がある)の著作である。内容は、漢字を扁 (へん) と旁 (つくり) によって分類し、その成り立ちと字義を解説したものとなっている。

 記事中の小柳司氣太(おやなぎしげた)は、明治から昭和期に活躍した漢学者で、大東文化大学教授。彼が編纂した『新修漢和大字典』は、後の漢学者に影響を与えた。

 河田羆(かわだたけし)は、幕末から大正期にかけて活躍した地理学者。正院や内務省で地理調査を進め、『日本地誌提要』『大日本国全図』などを刊行した。既述した重野との共著『支那疆域沿革図』『支那疆域沿革略説』もある。

 

*重野安繹関連書籍:重野安繹と久米邦武―「正史」を夢みた歴史家 (日本史リブレット人)

 説文解字関連書籍:漢字の成り立ち: 『説文解字』から最先端の研究まで (筑摩選書)

          新装版 漢字学: ー「説文解字」の世界ー