『現代思想 総特集 仏教を考える』を読む(1)「序:個人的な体験」

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

 いつもは、徳富蘇峰や高嶋米峰の史料を紹介している「学究ブログ(思想好きのぬたば)」ですが、今回は少し趣向を変えて、

 最近刊行されたばかり(2018/09/28)の『現代思想 総特集 仏教を考える』に掲載された幾つかの論稿を読んで、考えたことや疑問に思ったことを、個人的な体験も踏まえて纏めていければと考えています。

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 今回は記念すべき(苦笑)第一回目ということで、「『現代思想 総特集 仏教を考える』を読む(1)「序:個人的な体験」」という題で、駄文を披露できればと思います。

「どんな人がこんな文章を好き好んで読むんだろう?」と思いますが、もし響いて欲しい対象がいるとすれば、「学問に真剣に取り組みたいと思っているが、なかなかモチベーションがあがらない大学生」や「労働と学問を両立させたいが、なかなか心身が安定せず難しい会社員」などに読んで頂きたいと思います。(もちろん、他の方にも読んでいただければと思います。)

 それではよろしくお願いします。

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「序:個人的な体験」

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「先生はどういう目標があって研究の道に進まれたんですか?」

 大学の三回生に進級したばかりの頃、少しずつ「研究者」という職に憧れを抱きはじめた私は、先生方に会う度に上記のような質問をぶつけていた。

 あの頃の私にとって、歴史学や哲学など、一般的に「実用性をもたない」「就職に役立たない」と切って捨てられがちな学問を、とても楽しそうに語る大学の教員や研究員の姿は、憧れの対象であった。(今でもそれは変わらない。研究者の「辛い環境」という現実が身に染みて分かってきても。)

「大学に入学したら、とにかく色々な専門の先生に会いに行こう!」

という方針のもと、大学一回生の頃から、様々な大学や研究機関に所属する先生にアポイントをとっては、お話しを伺いにいった私にとって、「研究者」への憧れが募っていくのは当然だったのかもしれない。

 そんな私にとっては、「先生はどういう目標があって研究の道に進まれたんですか?」という質問は、大変重要な意味を持っていた。

 「大変重要な意味」とは大袈裟な表現である、と私も思う。その意味を端的に言えば、「背中を押して欲しい」という言葉に集約できる。(または乏しいボキャブラリーで言い換えれば、「研究者」の道を迷うことなくすすむことができる「地図」が欲しかった。)

 私の家は、あまり経済的に裕福ではあるとは言えず、大学に進学する際も、生活費と学費は自分でまかなう(正直に言えば、入学金などは両親に支払ってもらったし、お米を二カ月に一回ほど送ってもらっていた)というのが条件であった。その条件を果たすため、日々幾つかのバイトを回しながら、必要費用を稼いでいた私には、当然研究者の道に進むための第一条件(だとなぜだかされている)「大学院への進学」が、茨の道として前方に広がっていた。

「これまで以上に働けば何とかなる」と思っている自分

「バイト生活なんかやめて定職につけよ」と忠告してくる自分

とに板挟みになっていた私には、「先生はどういう目標があって研究の道に進まれたんですか?」の先にあるアンサーが、きっと自分の背中を押してくれると信じてやまなかったのである。(または、素敵な「地図」が手に入ると信じてやまなかった。)

 しかし、その質問の先に待っていたアンサーは、決して自分にとって腑に落ちるものではなかった。

「そんな恰好いい目標なんてない」

「とにかく就職したくなかった」など

むしろ落胆してしまうアンサーにも遭遇することがあった。

 そんな落ち着かない日々を送っていた私に、研究者への道に進む勇気(と「地図」)を与えてくださった方々がいた。

 それが今回『現代思想 総特集 仏教を考える』に名前のあがっている研究者の幾人かである。

 研究室で四時間ほど雑談に付き合って頂いたり、酒場で「院生になる前にしておくべきこと」をレクチャーして頂いたり、毎週(いや、二日に一度)ご飯に連れていってもらったり、小さなお手伝いで結構なお手当をくださったり、書籍を頂いたりと、自分の裡から沸々と生じてくる「将来への悩み」を、適度に発散することのできる機会を作ることができたのは、本当に幸福なことであった。

 勿論、今回の『現代思想』の執筆者ではない先生方にも(むしろこちらの方が人数は多い)感謝の気持ちは強く持っている。

 そのことを大前提にして、「『現代思想 総特集 仏教を考える』を読む」では、『現代思想 総特集 仏教を考える』に掲載されている論稿の幾つかを読んで、雑感を述べていきたいと思う。

 

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「お前、今回は何の論文の感想も書かんのかい!」と思われた方、すみません。

 きちんと次回からは書きます。

 ご拝読ありがとうございました。