学究:徳富蘇峰(8)関連史料[7]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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 16.1897年(明治30年) 8月 27日 「●勅任参事官と二局長の新任」

一部引用↓

「豫報の如く愈々昨廿六日午前十時を以て左の任命ありたり(中略)任内務省参事官(同) 徳富猪一郎」 (文中の「(同)」は「高等官二等」の意)

⇒徳富猪一郎が内務省参事官に就任。

 

内務省関連書籍:内務省の政治史 〔集権国家の変容〕

         内務省 名門官庁はなぜ解体されたか (PHP新書)

 

17.1897年(明治30年) 10月 7日 「●徳富参事官の出発延期」

全文引用↓

福島県五縣視察の爲め出張すべき徳富内務参事官は今明日中發途せん筈なりしも昨日來風邪(注*ふうじゃと読んでいる)にて療養し居れば尚兩三日間は出發延期すべしと云ふ」

内務省参事官の任務として東北地方に出張予定であったが、風邪のため延期。

 

内務省関連書籍:内務省の社会史 増補版

 

18.1897年(明治30年) 10月 13日 「●徳富参事官」

全文引用↓

「十一日午後三時十五分仙臺特發 徳富内務省参事官昨夜當地に着し本日午前八時より縣○に至り終日調査する所あり明日巖手縣に向て出發の筈」(○は文字が認識できず)

徳富蘇峰の東北出張の模様を伝えている。