学究:徳富蘇峰(6)関連史料[5]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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12.1894年(明治27年) 4月 14日 「●金氏知友の集会決議」

全文引用↓

「金氏の知友諸氏は一昨日臨時會を開きて種々協議を為せり會する者は頭山満、大井憲太郎、中江篤介、志賀重昂、一木齊太郎、作本棟造、山崎知遠、石井信、松尾巳代太郎、山田猪太郎、小林勝民、小暮直次郎、福島政太郎、月成光、須永元、松岡好一、明智萬治、田村早次郎、山田唯一、和田延太郎、齋藤巳三郎、葛生玄踔、矢島某、寺澤正明、田尻一喜、桑名武一郎、對島健之助の諸氏及犬養毅尾崎行雄、徳富猪一郎、の三氏の代人等なり頓て大井憲太郎氏は石井、小林兩氏と共に外務大臣外務次官、總理大臣等を訪問せし顛末を報道す其大要は伊藤總理大臣が我々の請求に對する答辯は金氏の死躰は萬國公法上如何とも詮方なしと云ふにあり云々小林勝民氏は其後金氏の死体朝鮮政府に引渡されたる報を耳にしたるを以て直ちに外務省に赴むき此際日本國の面目上臨機の英斷に出づべしとの趣旨にて第三項の請求(本紙第二面第二項に在るもの参観)請求したれど外務次官は外務省を代表して不同意を表したる趣きを報告せり夫より集會の諸氏は猶評議の遂末に左の如く決議せり

 一 事既に此に至りたる上は詮方なし金氏遭難の當時着服せし衣類(血痕點々たるもの)及び寫眞、遺髪等も集めて棺に納め盛大なる儀式を以て埋葬の式を行ひ一大紀念碑を設立する事
 二 今回の凶變に關する清韓兩國の處置及び日本政府の處置に付大に國論に訴へて金氏の靈を慰する事而して新たに實行委員十餘名を選擧し左の諸氏其選に當れり
大井憲太郎  頭山満   中江篤介    
尾崎行雄   志賀重昂  小暮直次郎
作本棟造   石井信   小林勝民
福島政太郎  山田猪太郎 岡本柳之助
岡本貞雄

⇒金氏とは、1894年3月28日に43歳で亡くなった金玉均のこと。頭山満らが金玉均の残虐死を憂いて、死者を弔うための委員会を設置するなどの動きが示されている。この動きの中に徳富猪一郎の名があることに注目したい。

 

頭山満関連書籍:夢野久作 近世快人伝 頭山満から父杉山茂丸まで (文春学藝ライブラリー)

         頭山満伝―ただ一人で千万人に抗した男

         人ありて―頭山満と玄洋社

 志賀重昂関連書籍:日本風景論 新装版 (講談社学術文庫)

 中江篤介(兆民)関連書籍:三酔人経綸問答 (岩波文庫)

              西部邁 中江兆民―百年の誤解

  金玉均関連書籍:朝鮮開化派選集: 金玉均・朴泳孝・兪吉濬・徐載弼 (東洋文庫)

 

※今回は一記事で終了