学究:高嶋米峰(2)関連史料[1]

高嶋米峰関連史料について、

徳富蘇峰同様)朝日新聞掲載分から、少しずつ確認していきたいと思います。

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1.1905年(明治38年) 12月 2日 「●會」

一部引用↓

「▲新佛教徒同志會 本日午後五時神田橋外和強樂堂に於て演○會を開く(辯士、井上圓了、加藤咄堂、高島米峰、佐治實然、境野黄洋、堺利彦)」

⇒1905年12月2日の午後5時から、井上円了堺利彦らを講演者とした「新佛教徒同志會」が開催されることが示されている。仏教関係者の中に堺利彦が名を連ねていることに注目。

井上円了関連書籍:新潟県人物小伝 井上円了

          井上円了: その哲学・思想

 堺利彦関連書籍:パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い (講談社文庫)

         堺利彦―初期社会主義の思想圏

 

2.1908年(明治41年) 5月 5日 「●風俗あらため會發會式」

全文引用↓

「羽仁古一、加藤咄堂、大住舜、高島米峰、福島四郎、境野黄洋、三輪田元道、宮田脩等の諸氏が幹事として盡力しつヽある風俗あらため會は三日午後一時より神田橋外和強樂堂に其發會式を擧行し三宅雄二郎、宮川すみ子、三輪田元道 加藤咄堂、宮田脩氏等の演説ありたり」

⇒1の史料と重なる人名(加藤咄堂、境野黄洋)が確認できる。彼等は「新佛教徒同志會」のメンバーである。『万朝報』記者を経て大学教授となった大住舜や、雑誌『日本人』を創刊した三宅雄二郎(雪嶺)など、当時のジャーナリスト・メディア業界で活躍していた人物が確認できる。

 

3.1911年(明治44年) 9月 30日 「●婦人界の消息」
一部引用↓

「▲風俗あらため會演説會 数年來風俗改良の爲に盡○せる同會にては主唱者なる越後長岡の素封家山口せい子女史の上京を機とし來る十月一日午後六時より本郷壹岐殿坂上宮教會に於て大演説會開催、加藤咄堂、境黄洋、高島米峰、大住舜、三輪田元道氏の演説ある筈」(○は認識不可の部分)

⇒2の史料にある「風俗あらため會」の関連行事。ここではこの会が、越後の素封家である山口せい子によって主唱されたとしている。山口せい子という人物については、まだ調べることができていない。「新佛教徒同志會」のメンバーの名がまた確認できる。

*三輪田元道関連書籍:女と戦争 (第16巻) (近代女性文献資料叢書 (16))