学究:高嶋米峰(37)関連史料[36]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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48.1924年(大正13年) 1月 31日 「最近の感想 一夫一婦 高島米峰

全文引用↓

「夫婦は人倫の端緒で、一夫一婦は人類の常道である。今吾等の皇太子殿下が、結婚の禮を行はせられたのは、正に吾等にその範を垂れ給ふものである。従つて、吾等は、ただ、お目出度いと、喜び合ふだけでは滿足が出來ない。吾等は、何か、この場合、最も意義ある事業を成遂げて、この喜びを、永年に記念し、奉りたい。
 曰く公娼、曰く蓄妾、凡そ、斯くの如き惡風、皆是、人倫を紊り、人道を壌るところの存在である。この際、若し、その一つでも撲滅し得るならば、これに勝る記念事業は、またとあるまい。」

⇒1923年(大正12年)12月27日に生じた虎ノ門事件などを経た裕仁親王が、1924(大正13年)に久邇宮邦彦王の第一王女・良子女王との間で行なった結婚に対する高嶋米峰の感想・意見を述べた記事。

 高嶋は、上記の結婚を「一夫一婦」の象徴的な例として取り上げ、ただ「お目出度い」と喜ぶだけではなく、これを契機として「意義ある事業」を成すべきだとしている。ならばその「意義ある事業」とは何か。

 これまで高嶋に関する記事を追ってきた中で、最も活動的な運動に「廃娼運動」がある。ここから皇太子殿下の結婚を、「公娼、蓄妾」を廃止し、悪風・悪慣習を取除く活動の契機にしようというのが、高嶋の主張である。

 上記の議論には、当時多くの国民から尊敬の念を持たれていた皇太子(皇族)の存在を利用しようとする魂胆が透けて見える。高嶋自身が、皇族や天皇というものについて、どのような認識を持っていたのかも、今後は考えていきたい。

 

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