学究:高嶋米峰(21)関連史料[20]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

____________________________

32.1920年(大正9年) 2月 8日 「鉄箒 馬子の弑逆と太子」

全文引用↓

 「♦崇峻天皇が弑逆に遭ひたまへる時聖徳太子がただ過去の報なりと歎息せられただけで 馬子の無道を誅伐せられなかつたといふことが各種の歴史に明記してあるといふ人があるが、その謂はゆる各種の歴史といふのは、何々なりや承はりたい。淺學な僕の讀んだ各種の歴史、即ち、最古の官選國史たる日本書紀にも、太子の薨去を去ること遠からざる時代に成つた法王帝説にも、また、塙保己一群書類従を○した時集めた太子傳補闕記にも、さういふ記事が載つて居ない。ただ一つ、藤原時代頃に、不確實な修飾を多くして、面白く書きこなされた太子傳暦といふのに、出て居るだけである。しかし、傳暦の歴史的價値は、專門史家の間に定評のあるもので、これは、史論の證権を値しないものである。

 ♦イヤ、水戸の大日本史でも讀んだし、山陽の日本政記でも讀んだし、さては、林道春の蘇我馬子辯、荻生徂徠の擬家大連檄、などでも讀んだが、皆さう言つて居るではないかと言ふかも知れぬ。しかし、歴史でないものまで數へ擧げても、それ位しかないといふのは、頗るお氣の毒である。まづ、大日本史が、なぜ、こんな根據のない記事を書いたのかといふに、それは、全く排佛黨の史家連中が傳暦の記事を観て、鬼の首でも取つたやうなつもりになつて、何等の批判と考察とを加ふることなく、ただもう有頂天になつて援引したものであることは言ふまでもない。又、山陽の日本外史や日本政記が、歴史として何等根本研究を加へたものでなく、従つて、史書として 権威を有しないことは、これ亦、今更言ふにも及ばない。林道春や荻生徂徠が、故意に太子を傷つけんとしたるは、彼等の論錄を借りて言へば、儒に泥するところより、傳説を基礎として、強ひて排佛の具に供したに過ぎないのであつて、その情や、寧ろ憐れむべきである。

 ♦然るに、大正の今日、またその糟粕を甞めて、太子を非議せんとするが如き、時代後れの人があるといふだけでも、いよいよますます太子の鴻業偉徳を嘆美し、太子の根本精神を讃仰し、依つて以て確實に、太子をして、國民崇敬の的たらしむることに努力しなければならないといふことを、痛感するのである(高島米峰寄)

♢本稿の外松原至文氏、廣瀨了○(義?)氏寄より太子を頌讃せる寄稿あれど紙面の都合上割愛したり(係)」

 ⇒この史料の中心テーマになっているのは「崇峻天皇が592年に臣下によって暗殺された事件」。その首謀者は、蘇我馬子である。

 聖徳太子敏達天皇3年1月1日(574年2月7日)の生まれで、推古天皇30年2月22日(622年4月8日)に没したとされる。蘇我馬子崇峻天皇を暗殺した時点では、未だ皇太子の立場にはない(崇峻天皇暗殺後、推古天皇の時代に補佐役となる)。ここで、記事の執筆者・高嶋米峰が問題にしているのは、この崇峻天皇暗殺時に、厩戸皇子聖徳太子)が馬子の蛮行に対して「ただ溜息をして、とくに責めることはしなかった」という言説が巷に流布していることへの問題提起である。「どんな歴史書にそんなことが書かれているのか?言ってみろ!」というのが高嶋の主張であり、記事中でその論証がなされていく。

 高嶋米峰は述べる。聖徳太子を知る上での基礎文献(日本書紀、上宮聖徳法王帝説、群書類従中の「太子傳補闕記」)を見ても、聖徳太子蘇我馬子の蛮行を見て見ぬふりをしたとはどこにも書かれていない。平安時代にわずかに「太子傳暦」という書籍はあるものの、ここでの内容は歴史学的に見て否定されている。

 そんな中、ならばなぜ上記の如き言説が幅を利かせているのか? その原因には、徳川光圀が編纂を命じた『大日本史』や頼山陽の『日本政記』、林道春『蘇我馬子辯』、荻生徂徠の『擬家大連檄』などの書物での記述がある。高嶋は上記の四冊を、「排仏の思想・思惑が根底にある」「歴史書としての価値を有さない」と批判する。ここで「排仏」が意識されているのは、聖徳太子が仏教の篤信者であったことから、彼の評価を下げることで、仏教そのものの価値も下げる、という流れが想定できるということであろう。

 高嶋は結論として、「大正の時代になって、今なお聖徳太子非難を行う者がいるのは、時代遅れの感がして相手するだけ馬鹿馬鹿しい。一方、そんな状況だからこそ、聖徳太子の偉業を讃える試みが求められる」と述べている。

 大変興味深い論稿であった。

 

蘇我馬子関連書籍:蘇我氏と馬飼集団の謎(祥伝社新書)

          飛鳥京物語―蘇我稲目と馬子の時代

          蘇我氏-古代豪族の興亡 (中公新書)

 塙保己一関連書籍:塙保己一とともに―ヘレン・ケラーと塙保己一

          塙保己一 (人物叢書)

 荻生徂徠関連書籍:荻生徂徠 (叢書・日本の思想家)

 頼山陽関連書籍:頼山陽とその時代(上) (ちくま学芸文庫)

         頼山陽とその時代(下) (ちくま学芸文庫)