学究:高嶋米峰(32)関連史料[31]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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43.1921年(大正10年) 10月 20日 「鉄箒 廣告制限運動」

全文引用↓

「♢雜誌『實生活』十月號に高島米峰氏の『新聞廣告の大きさを制限せよ』といふ一文が載つてゐる。僕それを讀んで大いに共感同鳴した。僕も出版業者の一人として、貧弱なる借紙人の一人として、滿腔の誠意を以て此の運動參加する

 ♢詳しい事は同文を讀んで頂くとして、聊かこれを日本の精神的文化といふ方面から考へると、日本の思想界が朝三暮四、節操なく定見なしといふのは、實は思想界と稱せられるものを、新聞雜誌業者と出版業者とが作つてゐるからであつて、呉服屋が流行を提供してゐるのと同一轍である。マルクス主義の雜誌社が親鸞主義の雜誌社より財力(廣告力)が強ければ、日本の思想界はマルクスが勝たやうに見えるのである。

 ♢諸君!諸君は毎日の新聞の廣告面を眺めて實際以上に思想界と世相の紛亂を感じないか。精神的の苦悩を感じないか?近頃の雜誌廣告と書籍廣告の刺戟的な文字と大きな活字の行列はどうだらう?吾々玄人は其の誇大な目次を一瞥しただけでもう雜誌を買つて見る氣も失せるのだ。それ程吾々は廣告性神經衰弱に罹つてゐるのだ。

 ♢更にこれを廣告主と販賣店と讀者との三角關係側から観察すると、そこに投機的出版界の救ふべからざる諸種の頽發的傾向が看取せられる。

 ♢良い書籍良い雜誌が必ず大きな廣告をするのではない。寧ろその反對である場合が多い。小さな珠玉が大きな瓦礫の蔭に其の光を失つてゐるのだ。こゝに日本の思想界の資本的暴力化がある。精神文化の頽廃と悲観がある。

 ♢米峰氏の意見は新聞の廣告面を耕地整理をするやうに區劃して廣告の最大限を定めよといふのだ。此の利益は資本主義の掣肘と小資本の擁護にある。文化の健全な助成にある。

 ♢『朝日』は権威ある新聞である新聞事業が營利事業でないならば日本の思想界の爲に出版界の爲に率先して此の事業を斷行する事を慫慂する。(西村陽吉寄)」

⇒この記事の中身を各♢ごとに纏めていく。

 一つ目の♢では、高嶋米峰が、「雜誌『實生活』十月號」に『新聞廣告の大きさを制限せよ』という論稿をのせていることが紹介され、記事執筆者である西村陽吉志が賛同の意を示している。

 二つ目の♢では、当時の思想界に見るに値する思想が存在しないのは、「広告」に支配されている新聞雑誌業者と出版業者が思想界を形成しているからだと指摘される。その空しい実例として、マルクス主義の雑誌社と親鸞主義の雑誌社があったとして、前者の方が経済力(とそれにともなって高まる広告力)が強ければ、日本の思想界はマルクス主義が優勢であるように見える、という例があげられている。

 三つ目の♢では、「近頃の雜誌廣告と書籍廣告の刺戟的な文字と大きな活字の行列はどうだらう?」と疑問が呈され、そんな誇大表現に溢れた雑誌など買う気が失せ、その状況は「廣告性神經衰弱」と命名しても差し支えない、としている。

 四つ目の♢では、「廣告主と販賣店と讀者」の三角関係の視点から出版業界を考えてみようと提案している。

 五つ目の♢では、広告の大きさと書籍の良悪の関係性が説かれている。広告の大きさが大きいほど、書籍の内容は悪化していく傾向が強いと執筆者は主張する。

 六つ目の♢では、高嶋米峰の広告制限案(「広告スペースの限度を定める」)を紹介している。

 最後の♢では、執筆者がこの記事が掲載されている『朝日新聞』に対して、高嶋米峰の提案を率先して実行に移すべきだと提案している。

 以上、七つの♢別に内容を紹介した。新聞雑誌と広告の問題は現在進行形の問題であるため、この記事の内容は考え深いものである。

 記事の執筆者である西村陽吉は、大正から昭和に活躍した出版者・歌人石川啄木の『一握の砂』や斎藤茂吉の『赤光』などの出版に携わる。また、土岐善麿の影響を受けて、歌人としても活躍した。

 

親鸞主義関連書籍:親鸞と日本主義 (新潮選書)

          愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか (集英社新書)

 石川啄木関連書籍:一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

          時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇 (岩波文庫)

 斎藤茂吉関連書籍:赤光 (新潮文庫)