学究:徳富蘇峰(15)関連史料[14]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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32.1902年(明治35年) 7月 16日 「●政治學校卒業式」

全文引用↓

「昨日青年會館に於て擧行せり來賓福地源一郎氏は安政年間に於ける我國金貨産出の實況を詳説し徳富猪一郎氏は新聞記者の心得と題し記者たるものは足で書くを第一義とし手で書くを第二義とすべき事、耳よりは目の観察力を養ふ可き事、見聞の總てを書く記者よりは寧ろ秘密の鍵を深く藏して多く書かざる記者を貴ぶ可しと説き金子男は自活の道を求む可き事、責任の観念を持する事、組織的(そしょくてき)の頭脳を涵養する事答を述べたり」

⇒「青年會館」で挙行された「政治學校卒業式」の模様が描かれている。この式典では、福地源一郎、徳富猪一郎、金子男(おそらく、金子堅太郎)の三人が演説を行っている。徳富猪一郎は一ジャーナリストの立場から「新聞記者の心得」を語る。新聞記者は、で書くを第一義とし、で書くを第二義とするのがよい②耳よりは目の観察力を養うのがよい③取材して得た情報をすべてありのまま記事にしてしまうより、幾つか明らかにしないで秘密の情報をもつ記者になるのがよい。今の時代でも通じるような教訓であると言える。

 

*福地源一郎関連書籍:幕府衰亡論 (東洋文庫)

           幕末政治家 (岩波文庫)

 

 

33.1902年(明治35年) 8月 2日 「●全國小學校教員大會」

一部引用↓

「明三日帝國教育會に於て開く第一回同大會は五百餘名の申込みあり會員の實験談に次ぎ左の論題に付討論を爲し終りて辻新次、三輪田眞佐子、眞野文二、伊澤修二、加納久宣、徳富猪一郎、寺田勇吉、金子堅太郎諸氏の小學校及教員に關する演説あり餘興には各書肆の寄付に係る書籍六百餘種の福引ある筈(以下、省略)」

⇒「全國小學校教員大會」の第一回大會の紹介がなされた記事。会の主な中身は、小学校及び教員に対する有識者の意見発表と、書籍が獲得できる福引である。演説者のうち、辻新次は、明治前半期の殆どの教育制度整備に従事したため、「文部省の辻か、辻の文部省か」(安倍季雄編 『男爵辻新次翁』 での表現)と言われるほどの文部官僚である。三輪田眞佐子は、勤王家・三輪田元綱の妻で、日本女子大学設立に寄与した教育者。眞野文二は、明治から昭和前期に活躍した機械工学者で、九州帝国大学総長や枢密顧問官なども務めた。東京帝国大学時代の講義ノート機械遺産(一般社団法人・日本機械学会が、機械技術発展に貢献・寄与したとして認定した日本国内の物件の総称)に認定されたことでも有名である。加納久宣は、第92代内閣総理大臣麻生太郎の曾祖父。

 

*辻新次関連書籍:男爵辻新次翁―伝記・辻新次 (伝記叢書)

 金子堅太郎関連書籍:金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる (ミネルヴァ日本評伝選)

           金子堅太郎が語る大日本帝国憲法の精神: もう一人の起草者が見た伊藤博文、明治天皇、そして外国憲法との比較

           明治三十七年のインテリジェンス外交――戦争をいかに終わらせるか (祥伝社新書198) (祥伝社新書 198)