学究:高嶋米峰(16)関連史料[15]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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23.1919年(大正8年) 1月 11日 「本日の集會」
全文引用↓

「神田表猿樂町明治會館午後六時半(心の貧しき者は福なり)北村教嚴(思想の免疫性)高島米峰▲第二求道會九段佛教俱樂部午後二時(日出でゝ夜明く)近角常観▲婦人修養俱楽○婦人衛生會合同初例會一橋女子職業學校午後一時(歐洲戦亂に對する所感)内田定○(未定富士川游(講議)風谷▲日佛協會講演午後二時華族會館)

⇒毎度お馴染みの「本日の集會」。「第二求道會九段佛教俱樂部」とは、東京本郷の求道会館を第一の会場としての表現だろうか。講演内容を見ると、「歐洲戦亂に對する所感」とあるように、戦争(今回の場合は1914年7月28日から1918年11月11日間の第一次世界大戦)についての演説も行われていたことが分かる。

 

第一次世界大戦関連書籍:日本人のための第一次世界大戦史 世界はなぜ戦争に突入したのか

             第一次世界大戦史 - 諷刺画とともに見る指導者たち (中公新書)

             第一次世界大戦 (ちくま新書)

 

24.1919年(大正8年) 2月 15日 「文藝美術」

一部引用↓

「△風俗問題演説會 二月十七日午後五時半より神田表猿樂町明治會館に開き生活問題と風俗問題(加藤咄堂)自殺する女(高島米峰)デモクラシーと風俗(宮田脩)眞の自由を尊重せよ(三輪田元道)の談笑ありと」「▲救世教常念會二月例會 十三日午後七時より麹町大日本私立衛生會に開けり」

 ⇒宮田脩は明治から昭和時代前期の教育者。

 史料中の「救世教常念會」について、似た名前の宗教団体に、岡田茂吉が立教した世界救世教がある。しかし、立教された年は1935年(昭和10年)であるため、1919年(大正8年)の史料にある「救世教常念會」は別の組織である。調査不足のため、詳細を示すことはできない。今後の課題としたい。

 

世界救世教関連書籍:療術から宗教へ─世界救世教の教団組織論的研究

 

25.1919年(大正8年) 6月 14日 「本日の集會」

一部引用↓

「▲佛光錄提唱(白山道場)後四時宮路宗海 ▲明治會館後二時聖教讃仰會前田慧雲、七時半(日米貿易の將來)三輪末彦(安全週間)泉道雄▲傳教大師讃仰講演(淺草公園傳道館)黒板勝美高島米峰」「求道會後七時(救濟の意義)近角常観、九段佛教俱樂部一時」

宮路宗海は愛知県渥美郡高根村宮路安吉氏の四男として生れた、鎌倉円覚寺派管長を務めた人物である。史料中にも示されているように、大正2年から東京白山道場の要請に応じて、道俗のために集会等の活動を行った(以上の記述は、ルーブル社出版部編『大日本人物名鑑〔巻5の1〕』(ルーブル社出版部、1922、P99-100)を参照とした)。また、宮路宗海には徳富蘇峰とも接点がある。