学究:徳富蘇峰(9)関連史料[8]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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19.1897年(明治30年) 10月 21日 「●不信任決議

全文引用↓

 「二十日午後一時三十五分青森縣特發 本日臨時縣會に於て議事に先ち十二名に對する十七名の多數にて本縣知事牧朴眞氏の不信任を決議し知事は直に取消すべき旨の通知を發せり徳富内務参事官も其議事を傍聴し居たり」

⇒青森縣知事・牧朴眞の不信任決議について、関与する徳富蘇峰の動向を伝える。

 

20.1897年(明治30年) 11月 2日 「●陞位及叙位」

全文引用↓

「昨日の官報を以て田尻稻次郎氏他五百二十九名の陞位叙位を發表せり其中には尾崎行雄蒲生仙二氏共に正五位に進み徳富猪一郎氏は特に正五位に叙せられたり」

徳富蘇峰正五位に叙せられたことが伝えられる。

 

21.1897年(明治30年) 11月 25日 「●文学雜話會」

全文引用↓

「渡邊洪基、徳富猪一郎、都筑馨六 其他數氏の發起にて一昨日上野精養軒に懇親雑話會を開き會するもの前田健次郎、橋本雅邦、福地源一郎、依田百川、岡倉覚三、三宅雄次郎、坪内雄藏、伯爵柳原義光、子爵小笠原長生 落合直文、淺井忠、安藤仲太郎、松本君平、佐々木信綱、幸田露伴、鈴木得知、都筑馨六諸氏其他都合九十八名にして年長を以て依田百川氏一場の演説を爲し續て徳富猪一郎氏立つて本會を繼續して少なくとも隔月に一回宛相會合せんとて委員を選定することを主張したるに孰れも之を賛成し夫より洋食の饗應ありて退散したり」

⇒渡邊洪基(帝国大学初代総長)・徳富猪一郎・都筑馨六(外務官僚)が中心となって、上野精養軒で開いた「文学雜話會」の模様(参加者の顔ぶれなど)が伝えられている。日本画家の橋本雅邦、東京美術学校日本美術院の設立・創設に尽力した岡倉覚三(天心)、近代日本文学の確立に貢献した坪内雄蔵(逍遥)、『五重塔』などの代表作をもって一時代(紅露時代)を築いた幸田露伴など、文学界・藝術界の立役者が名を連ねている。

 

*橋本雅邦関連書籍:日本画とは何だったのか 近代日本画史論 (角川選書)

          狩野芳崖と四天王

 岡倉覚三(天心)関連書籍:東洋の理想 (講談社学術文庫)

              父 岡倉天心 (岩波現代文庫)

 坪内逍遥関連書籍:坪内逍遥 (人物叢書)

          小説神髄 (岩波文庫)

 幸田露伴関連書籍:幸田露伴の世界

          努力論 (岩波文庫)