学究:高嶋米峰(9)関連史料[8]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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14.1915年(大正4年) 10月 26日 「●支那布教旌功会」

全文引用↓

「今春支那布教權問題に就て創立せられたる支那布教權問題佛教權問題佛教徒大會にては一昨廿三日午後一時より淺草本願寺に於て支那布教旌功會を開催し支那開教の最初の功労者たる小栗栖香頂師の追弔會を催し併せて支那布教權に關する報告演説會を開けり先づ本願寺法主大谷光螢伯の親修追弔法養あり次で別堂に移り初めに安藤鐡腸氏審に布教權の意義より日支交渉案件に布教權の入りたること及び之を貫徹せんとして佛教徒が誠意の運動をなし其他日の商議に委せらるゝや引續き議會に對して該問題の建議案を提出し大多数にて可決したるをより更に今後東洋平和の爲め布教權確認の必要なるをに論及し約一時間に亙りて報告し次で日置默仙師(代理)大森禅戒、渡邊海旭、和田對白、加藤咄堂、高島米峰、柴田一能、水野梅暁、高木政勝、田中舎身、島地大等の諸氏順次登壇或は小栗栖師の人格を讃へ或は支那布教の急務を説き聴衆に感動を與へ午後七時過會を閉ぢたり聴衆満堂頗る盛會なりき次で別室に於て懇親會を開き是亦來會者六十餘名、席上本城安太郎、野口日主、奥野市次郎、來馬琢道、龍口了信、葛生能久、高木政勝諸氏の演説あり歓興頻に動き十時過散會せり」

⇒上記の「支那布教權問題」とは、1915年に提示された「対華21ヶ条要求」の「第5号 中国政府の顧問として日本人傭聘方勧告、其他の件」の「支那における本邦人の布教権を認むること」の一項が発端となり盛り上がった一テーマである。この記事中では仏教界の動向が描かれ、浅草本願寺で「支那布教旌功會」が開かれたとされている。支那布教の先駆者・小栗栖香頂の追悼式、大谷光螢らによる演説、仏教者による「今後東洋平和の爲め布教權確認の必要なる」の確認などが行われ、仏教者の「支那布教權問題」に対する関心の高さが伺える。

 

※小栗栖香頂(おぐるすこうちょう)関連書籍:

 日中浄土教論争―小栗栖香頂『念仏圓通』と楊仁山

 楊仁山の「日本浄土教」批判: 小栗栖香頂『真宗教旨』をめぐる日中論争

 対華21ヶ条要求関連書籍:父が子に語る世界歴史 6 [新装版]: 第一次世界大戦と戦後

             対華二十一ヵ条要求とは何だったのか――第一次世界大戦と日中対立の原点