学究:高嶋米峰(34)関連史料[33]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

____________________________

45.1922年(大正11年) 12月 8日 「青鉛筆」

一部引用↓

「消費節約の實行委員會が、六日夜商工奨勵館で開かれた、その席上、例の高島米峰さん、禿頭を持上げ宇佐美知○に一本突込んだ「知事は節約の委員長でありながら、毎年暮に府會議員を招んで五千圓も料理屋に撒く、あれはどう思ふか」とやつた、知事さん兜を脱いで「かしこまりました」」

⇒禁欲的な思想の持主である高嶋米峰の性格が如何なく発揮された記事。高嶋米峰は「禿頭」を強調されることが多い。

 東京で開かれた消費・節約に関する委員会において、当時、1921年5月から東京府知事に就任していた宇佐美勝夫に対して、年の暮れに料理屋で椀飯振舞をしていることを直接指摘して、消費・節約に積極的になるよう仕向けている。

 宇佐美勝夫は、東京府知事に就任する以前は、富山県知事や統監府参与官、韓国政府内務次官、朝鮮総督府内務部長官などを務めた経歴をもち、東京府知事退任後は、貴族院勅選議員に任じられている。

 

宇佐美勝夫関連書籍:植民地帝国人物叢書 28(朝鮮編 9) 宇佐美勝夫氏之追憶録