学究:高嶋米峰(29)関連史料[28]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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40.1921年(大正10年) 2月 21日 「お雛様のお酒は甘酒が神代からの儀式 全國女學校へ白酒禁止の宣傳を始めた片山博士等 ♢神様を酒飲にした上戸黨」

全文引用↓

「嬢さん達の待ちに待つた雛祭も早十日の後に迫つてお酒屋は白酒の仕入に努めて居る、折柄禁酒主義の渡邊海旭、高島米峰、片山國嘉の三先生から妙な抗議が出て來た子供のお祭に酒とは飛んでもない甘酒を使ふに限ると云ふ主旨を廿日全國八百の女學校へ今年を始めに一齋
 實行方を依頼したお雛様面喰はせの抗議につき片山先生は「禁酒反對論者は分量を云々するが問題は分量でなく習慣にある此點で子供の祭○酒を使ふは甚だしい過ちで儀式上の根據からも白酒を甘酒とするのは神代に歸するものだ、瓊々杵尊木花咲耶姫は甘酒作りの名人で同姫を祭つた日向國妻神社や瓊々杵尊を本體とした三宅神社は大祭の
 神酒に甘酒を用ひる、元來清酒を神酒としたのは徳川時代に始まり以前は白酒黒酒を用ひ神代の頃は甘酒に勢力があつた位なのを後世酒飲が勝手に神様を酒飲にしたのである」と言つてゐる」

⇒雛祭りに使う神酒が「白酒」であることに、禁酒主義を唱える「渡邊海旭、高島米峰、片山國嘉の三先生」から抗議の声があがったという記事。彼等は神酒には「白酒」ではなく「甘酒」を使うように主張する。

 片山國嘉(かたやまくにか)が言うには、禁酒に反対する論者は「酒を分量を調整するだけで、禁酒までする必要はない」という主張をしがちだが、それは誤りで、問題は飲酒が習慣化していることにある。元来日本は、神代の時代から、瓊々杵尊木花咲耶姫が甘酒作りの名人と呼ばれているように、「神酒は甘酒」だとするのが歴史的に正統性をもっている。「神酒は白酒黒酒」と言い出したのは徳川時代からであり、酒飲が勝手に「神様は酒飲であった」と言い出した、とする。これは、歴史性・伝統性を論拠とした「禁酒運動」の一つの形である。ちなみに、片山國嘉は、明治・大正期に活躍した医学者で、東京大学にて日本初の法医学講座を担当した。また、日・清・韓での医学交流を目指した団体「同仁会」の設立や、今回の史料のような禁酒運動にも取り組んでいる。

 

*「神酒」関連書籍:神様が宿る御神酒

 「甘酒」関連書籍:塩麹と甘酒で作る調味料

 「法医学」関連書籍:法医学

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