学究:徳富蘇峰(29)関連史料[28]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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54.1907年(明治40年) 5月 15日 「●放火婦人(子ゆゑの闇)」

全文引用↓

「神奈川縣三浦郡葉山村字長柄に根岸おゆく(二十六)といふ女性あり今を距る五年前同郡田城村字龜井の一柳音吉に嫁したるに三十七八年の戦役起り夫は戰地に發足したるにより獨り操を守りて家業を勵み夫の凱旋を待ち居りしに軈て夫は命めでたく歸り來り夫婦の間に子さへ出來て親子三人水入ずに暮し居りしが夫は何時しか他に情婦を設けおゆくに對しては情なき所置のみ重ぬるよりおゆくは悲しさ遣る方なく涙ながらに怨じたるに夫は却つて打腹立ち昨年二月終におゆくを離緣しけりおゆくは夫より見捨てられて今更親許へも歸られず止むなく同所にある徳富猪一郎氏別邸に奉公し他ながら殘したる愛兒の身の上を守り居りしに夫はおゆくを追出して後は我兒をも愛をしとせず折々は打擲する事もありとの噂におゆくはいよいよ悲しくなり女の恨何處まで強いか見居れとて淺墓にも夜中四俵の炭俵を音吉方の軒下に積み之に火を放けて燃したるが坐ろに我行ひの恐ろしくなり火の手を見て出來り事は面倒となりておゆくは放火未遂の罪に問はれ第一審にて重懲役六年に處せられ不服にて控訴せしも効なく昨日控訴は棄却となりたりとぞ設令事情は憐れむべしとするも罪の免し難きを如何せん」

⇒一人の女性の悲しい物語。

 根岸おゆくは、日露戦争帰りの夫・一柳音吉との間に子を授かり、親子三人で仲良く暮らしていた。しかし、夫が情婦と交わるようになってから状況が変わり、結果離縁となってしまう。夫のもとに残していた子のことを日々思い、「徳富猪一郎氏別邸」で奉公に臨んでいたおゆくであったが、「どうやら夫は、子どもさえも愛していないらしい」という疑念から、一柳音吉宅への放火におよんだ。おゆくは懲役6年が確定、「設令事情は憐れむべしとするも罪の免し難きを如何せん」という記者の言葉には、女性への憐みが滲んでいる。

 

*「放火」関連書籍:孤独な放火魔 (文春文庫)

          重爆特攻さくら弾機―大刀洗飛行場の放火事件