学究:徳富蘇峰(43)関連史料[42]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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68.1908年(明治41年) 11月 19日 「演藝風聞録」

一部引用

「▲辰燕の大悄氣 浪花節の辰燕が關東を代表して九州を切捲つて來ると大きなことをいつて花々しく出發したのはツイ先頃のことだが美事に失敗して數日前に舞戻つて來たものヽ大きな事をいふに引換て極氣の小さい質とて今更贔屓先へ何の面下げて行くこともならず大悄氣に悄氣返つてゐるとは氣の毒千萬▲慈善演劇 不良少年教養感化を目的とする家庭學校の爲井上公二、早川千吉郎、徳富猪一郎、留岡孝助外數氏發企人となり來月五六七日の三日間伊井、高田の新派合同を以て本郷座に慈善演劇を催すさうだ」

⇒「演藝風聞録」は、演劇に関する情報を纏めたコーナー。

 一つ目の▲は、浪花節の早川辰燕(1870-1928)の動向を追ったもの。新規開拓の難しさが描かれている。

 二つ目の▲は、不良少年教養感化を目的とする家庭学校のための慈善演劇について。この慈善演劇は、「伊井、高田の新派合同」により催されたとある。ここでいう「伊井」とは、伊井蓉峰・河合武雄を代表とする「新富座」のことを指し、「高田」とは、高田実・喜多村緑郎を代表とする「本郷座」のことを指すため、「伊井、高田の新派合同」とは「新富座と本郷座の合同」ということになる。

 最後に発起人の顔ぶれを確認。

 井上公二は明治から大正期に活躍した経営者。足尾鉱業所長、古河合名総理事、帝国生命保険(現在の朝日生命保険)社長などを務めた人物である。

 早川千吉郎は明治から大正期に活躍した官僚、実業家。大蔵省において各種銀行の設立に寄与し、貨幣制度調査会幹事となる。後に三井に入社し、三井銀行専務理事などを務めた人物である。

 

*足尾鉱業関連書籍:西沢金山の盛衰と足尾銅山・渡良瀬遊水地

 新派関連書籍:新派名優喜多村緑郎日記〈第3巻〉昭和11・12年・索引―新派創立五十周年

        街角で見つけた新派

        演劇のジャポニスム (近代日本演劇の記憶と文化)