学究:徳富蘇峰(50)関連史料[49]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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75.1909年(明治42年) 5月 7日 「●横井代議士の辭表」

一部引用↓

「東京監獄の藤澤典獄は横井代議士の緣戚なる徳富猪一郎氏に向つて収監中の横井時雄の件に關し六日午前八時三十分同監獄に出頭せられ度旨を通知し徳富氏は之に應じて出頭せし處同典獄は横井時雄より本書の傳撻を願出でたれば之を交附すとて左記辭職願を渡したり(横井氏とは面會せず)
(中略)
○て徳富氏は午前九時半林田衆議院書記會長を官邸に訪ひて該願書を提出せり是れより左き山形縣遊説中なる長谷場議長は五日午後二時半林田書記官長に宛て「横井代議士辭表提出の報を耳にせり果して事實ならば前回臼井哲夫氏の例により萬般處理せられ度余は午前八時半大曲に向ふべし至急實否返電を望む」との意味の電報を送附し來れるも當時は猶公式の辭表提出前なれば其旨同書記官長は返電を發送し置きし由なるが前記の如く既に公然辭表の提出ありしを以て右の訓電に基き即刻肥塚副議長の決裁を得許可の手續を了すると共に直に内務大臣に向つて補缺の申請を爲し同時に書記官長は其旨再び長谷場議長に電報せり」

⇒横井時雄代議士の辞職過程を伝えた記事。

 徳富蘇峰は、当時東京監獄に収監されていた横井時雄から「辞職願」を受け取り、これを提出した。この願書をもとに、長谷場議長、林田書記官長、肥塚副議長らが動き、横井時雄の辞職は認められた。

 横井時雄が東京監獄に収監されていたのは「日本製糖汚職事件」が原因。衆議院議員辞職、重禁固5か月、追徴金2,500円のダメージを負うことになる。「日本製糖汚職事件」は、「輸入原料砂糖戻税」という期限つき法律の期限延長を求めて、有力衆議院議員への贈賄が行われていた事件である。

 記事中にある「臼井哲夫」は、肥前国高来郡島原村(現在の長崎県島原市)生れの政治家で、横井時雄と同じく「日本製糖汚職事件」に関与し、重禁固10か月の有罪判決を受けた。

 

*「日本製糖汚職事件」関連書籍:小原直回顧録 (中公文庫)

                日本政治裁判史録〈明治・後〉 (1969年)

 臼井哲夫関連書籍:新訂 政治家人名事典 明治~昭和