学究:徳富蘇峰(33)関連史料[32]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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58.1908年(明治41年) 5月 26日 「●假名遣委員設置」

全文引用↓

「臨時假名遣委員會管制昨日公布あり即日左の通り組織せられたり第一回會合は來廿九日なり
委員長 菊池 大麓  主事 渡邊黄之助
委員
曾我 祐準  松平 正直  淺田 徳○  伊澤 修二
矢野 文雄  森 林太郎  江原 素六  岡部 長○
上田 萬年  井上哲次郎  伊知地彦次郎 岡野○次郎
松林 茂助  芳賀 矢一  藤岡 奸古  小松謙次郎
島田 三郎  徳富猪一郎  小牧 昌業  三宅雄次郎
鎌田 榮吉  大○ 文彦  横井 時雄  山川健次郎
(外一名未定)」

⇒この記事は、「臨時假名遣委員會」の構成員を示したもの。記事は5月26日のもので、29日には第一回会合が控えている。

 構成員の中から幾人かを取り上げ、以下に紹介する。

 委員長となった数学者・菊池大麓については、菊池大麓 | 近代日本人の肖像を参照。

 陸軍軍人である曾我祐準については、曾我祐準 | 近代日本人の肖像を参照。

 松平正直については、学究:徳富蘇峰(14)関連史料[13] - 学究ブログ(思想好きのぬたば)を参照。

 伊澤修二は明治期の教育運動家。愛知師範学校校長、東京師範学校校長などを務め、洋式体操や小学唱歌の創始と普及に貢献する。また、楽石社を創立し,吃音矯正,視話法の普及にも尽力した人物である。

 矢野文雄は、ペンネーム「矢野龍渓」として活躍した官僚、ジャーナリスト、執筆家。郵便報知新聞、大蔵省などで活躍し、新聞社では後に社長を務め、官僚時代には大隈重信のもとで立憲改進党成立に尽力した。代表作には『経国美談』『浮城物語』『新社会』がある。

 上田萬年と芳賀矢一は東京帝大国語国文学教授。

 山川健次郎は、白虎隊の一員から東京帝国大学総長にまで至った物理学者。

 

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