学究:高嶋米峰(33)関連史料[32]
前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。
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44.1922年(大正11年) 1月 14日 「押かけ會」
全文引用↓
「第二回が十二日午後六時から代々木の三宅雪嶺博士邸で催された、會する者高島米峰、白柳彦湖、河井醉名、野依秀一 其他博文館、日本及日本人、實業の日本、警醒社、東方時論、婦人の友、解放社、東京日々、讀賣、東京朝日等各社の關係者二十餘名に博士夫妻及び家族一同を合せ三十餘名、宴○なる頃關○○の獨唱、次で來會者の珍妙なる○○、福引等があり、次會の幹事を選定して十一時散會したさうだ」
⇒三宅雪嶺博士邸で行なわれた「押かけ會」(?)の様子。
明治から昭和期に活躍した河井醉茗(かわい・すいめい、資料中では「醉名」となっている)は、雑誌『少年文庫』の詩の欄を担当し、北原白秋、島木赤彦らを輩出した。また、雑誌『詩人』の発行を通じて口語自由詩を主張し、日本詩人協会や大日本詩人協会の創立に参画した人物である。
参加者には著名人の他に、出版業界の関係者もおり、社名が伊藤博文に由来する大橋佐平創業の博文館や、三宅雪嶺主催の日本及日本人を始めとして、多くの関係者が詰めかけた。「實業の日本」(『実業之日本』)は、光岡威一郎と増田義一が創立した「大日本実業学会」が発行する雑誌。警醒社は、日本のプロテスタントの最初の超教派の出版社で、発起人は植村正久、湯浅治郎、小崎弘道。『求安録』『地人論』など内村鑑三の著作の出版にも携わった。
*河井醉茗関連書籍:明治文學全集 59 河井醉茗・橫瀨夜雨・伊良子淸白・三木露風
口語自由詩関連書籍:詩の在りか 口語自由詩をめぐる問い
博文館関連書籍:近代出版文化を切り開いた出版王国の光と影―博文館興亡六十年