学究:高嶋米峰(11)関連史料[10]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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16.1916年(大正5年) 6月 17日 「青鉛筆」

一部引用↓

 「▲奉天の張將軍暗殺の嫌疑を蒙つた支那通の内田良平君は講道館の柔道五段である、所が同君は昇段の秘訣を語つて曰く「柔道の昇段をするには練習ナンテ生ぬるい事をしても駄目だ、何でも外國に行つて喧嘩するに限る、僕は朝鮮人と喧嘩して歸つた後二段から三段になり、滿洲で支那人と大喧嘩して四段、シベリアで露國人とやつて歸朝後五段になつたよ」▲新らしい女嫌ひで藝者嫌ひの高島米峰氏が今後の私娼退治に滿足せず「私娼は千束町や蠣殻町ばかりでない新橋でも赤坂でも花柳界皆然りだ、之に對して警視廰は何をして居るのかアーン」」

 ⇒文中に出てくる内田良平は、頭山満玄洋社、並びに黒龍会で活躍した、戦前を代表するアジア主義者。武芸の才能で知られた内田良五郎の三男で、幼児から種々の武術を指導された。記事内容は、内田良平が柔道五段にまで至った方法として「喧嘩」をあげており、その相手は朝鮮人支那人・ロシア人ら外国人である。少し変わった観点から、内田良平アジア主義精神を垣間見ることができる。

 次に、二つ目の▲の記事は、高島米峰が「女嫌ひで藝者嫌ひ」として紹介され、「警視廰」による私娼取り締まりが不十分であると叱責する様子が描かれている(最後の「アーン」には思わず笑ってしまった。よくヤンキー・不良の類が使う「アーン」と同じ意味だろうか?)。

 

内田良平関連書籍:国士 内田良平―その思想と行動

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