学究:高嶋米峰(4)関連史料[3]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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5.1912年(大正元年) 9月 25日 「乃木大将殉死に關する寄書 曲學阿世の徒を製造する國 高島米峰

一部引用↓

(もともと曲学阿世の徒を嫌っていた米峰であったが)「最近、乃木大将自刃のことありてより以來、僕等は、こヽに、曲學阿世の徒な批難することの、頗る誤れることを發見したり。」


「乃木大将の自刃するや大将の人格高潔にして至誠純忠の人たりしがための故に、世人は、擧く、其至誠發表の手段として執りし、自殺といふ形式までをも讃嘆措かざるなり。」


「谷本博士が、乃木大将の人格を批難したるが如きは、その何の意たるやを解する能はずと雖も、少くとも、乃木大将の平常を知らざるの愚説をいふべく、又死者に對する敬意、人類相互の最終の禮儀を辨へざる無知を笑ふべし。」(その後、加藤弘之浮田和民、境野黄洋を取り上げる。)


「嗚呼、僕今にして、世の曲學阿世の徒と戦ひ來りしことの、彼等に對して、甚だ氣の毒なるを思はざる能はず」

⇒米峰の乃木希典自刃についての考え。幾人かの知識人の立場も示している。

 

乃木希典関連書籍:乃木希典 (文春文庫)

          乃木大将と日本人 (講談社学術文庫)

          乃木希典―予は諸君の子弟を殺したり (ミネルヴァ日本評伝選)

 浮田和民関連書籍:浮田和民物語

 6.1912年(大正元年) 9月 29日 「●新佛教演説會」

全文引用↓

「新佛教徒同志會にては今回神田區今川小路二の四五に實費治療所を設け多年獨逸に留學して今年歸朝せるドクトル長谷川基氏を治療主任に依嘱し九月一日より開始せるが今二十九日午後半より神田橋外和強樂堂に於て演説會を催し左記の演説ある筈 
 息災(林古漠)新人(川村五峰)自利利他(土屋極東)醫者と消防夫(高島米峰)理屈癖(田中我観)メチニコフ(大住○風)ドクトル長谷川君を紹介す(杉村楚人冠)初對面の辭(長谷川基)慈善事業と佛教(渡邊海旭)大正の新秋(境野黄洋)」(○の部分は認識不可)

⇒「新佛教徒同志會」の催し。どのような内容のことが話されたのかが列記されている。渡辺海旭の「慈善事業と佛教」や境野黄洋「大正の新秋」に注目。記事中の「杉村楚人冠」とは、明治から昭和にかけて活躍した随筆家・新聞記者で、トルストイ日露戦争論をいち早く全訳したことで知られている。

 

杉村楚人冠関連書籍:楚人冠―百年先を見据えた名記者 杉村広太郎伝

 渡邊海旭関連書籍:紫雲の人、渡辺海旭―壼中に月を求めて

          荻原雲来と渡辺海旭―ドイツ・インド学と近代日本

 

※今回は二記事まで