学究:徳富蘇峰(53)関連史料[52]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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78.1909年(明治42年) 5月 31日 「●國際新聞協會發會」

一部引用↓

「國際新聞協會の成立は正しく日本の新聞史上に一新紀元を畫せるもの也、日本に新聞始まつて以來斯許り有力なる記者の相集まれることなく斯迄に朝野の間に重視せられたる會合を見ず、往年内外新聞記者懇話會なるものありしかど一兩回にして潰して、後外電記者俱樂部なるもの起こりが之も外電に關係ある記者のみの會合たるに過ぎざりき、今回の國際新聞協會に至つては都下の重要なる新聞記者はいふも更なり英米獨蘭等の新聞社通信社にして苟も其特派員を此地に派したらん限りの者は悉く來つて協會の旗下に集まれり之を國別にして五個國、之を社數に算して二十四社、會員の數未だ甚だ多からずと雖も其新聞紙界に重きをなすべきは英國の皇立新聞記者協會に異らず而して此重要なる一大團體は一昨廿九日タイムスのチロル氏等が破格の拝 を遂げたる當日を以て帝國ホテルに堂々たる一大發會式を擧行したり四月廿日初めて創立委員二十餘名の會合を見たる後此に至る迄日を經ること約五十日(中略)
△發會式晩餐會を開けり陸軍戸山學校軍樂隊の奏樂に伴ひて夫々設けの席に着き會長箕浦勝人氏を中心に伊藤公桂侯チロル氏モリソン氏ヘンリー、ジヨーヂ氏の主賓其左右に居流れ副會長徳富猪一郎ブリンクリーの二氏は中央に委員長ケネデー氏は主賓と反對の席の中央を占めたり湧くが如き歓聲の裏に晩餐の献立次第に進みて愈デザート、コースに入るや箕浦會長の發聲にて一同 天皇陛下の萬歳を三唱し次でブリンクリー氏は立つて伊藤公の爲に乾杯の辭を述ぶ(以下、省略)」

⇒「国際新聞協会」の成立とその意義、発会式の模様などについて伝えた記事。

 「国際新聞協会」の価値については、以下のような纏めることができる。

 ①これまでに成立した「内外新聞記者懇話會」や「外電記者俱樂部」などの記者団体とは異なり、参加する記者や新聞社に広がりがある。

 ②イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスの新聞社通信社に所属する特派員が協会に参加していること。参加している会社は二十四社を数える。

 記事後半部分では、5月29日に開かれた「発会式晩餐会」の様子が伝えられる。

 主なる参加者としては、箕浦勝人、伊藤博文桂太郎、チロル、モリソン、徳富猪一郎、ブリンクリーらの名前があがっている。(ブリンクリーについては、学究:徳富蘇峰(49)関連史料[48] - 学究ブログ(思想好きのぬたば)を参照。)

 発会式の中で、箕浦勝人発声のもと「天皇陛下の万歳を三唱する」のは、印象的な場面であると言える。

 

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