学究:徳富蘇峰(45)関連史料[44]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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70.1908年(明治41年) 12月 1日 「●日本電報通信社七周年祝典」

全文引用↓

「來三日有樂町高等演藝會場に於て擧行せらるべき日本電報通信社七周年大紀念式は其趣向設備十分に行届き殊に食卓の整理装飾等在來の諸集會に其例を見ざる斬新の意匠を凝らし當日來賓に贈呈すべき今代立志編とも云ふべき「實業界の柱礎」は同社が少からざる日子を費して其財料と蒐集したる其内容装灯共申分なく有益且有趣味の紀念物なり開宴前演説すべき諸名士は澁澤男松田正久徳富猪一郎小松通信局長大石正巳等の諸氏、來會者は可成フロツクコートを用ひ羽織袴の人は靴を穿たれたしとなり」

⇒1901年創立の「日本電報通信社(電通)」の創立七周年を記念した会の予告記事。会は、その他の諸集会とは一線を画する、趣向を凝らした内容となる予定である。実例として、参会者に対して「實業界の柱礎」という冊子が配られる。参会者には、フロックコートの着用が示され、羽織袴の人でも靴を履くことが求められる。本会の演説者としては、澁澤栄一、松田正久、徳富蘇峰らの名が並ぶ。

 松田正久は、肥前(佐賀)出身の明治期の政治家。陸軍省の一員としてフランス留学を経た後、長崎県会議員、第1次大隈重信内閣の大蔵大臣、衆議院議長、第1次・第2次西園寺公望内閣の司法大臣などを務めた。また、1900年時の立憲政友会の創立にも参画した。

 

渋沢栄一関連書籍:雨夜譚―渋沢栄一自伝 (岩波文庫)

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 松田正久関連書籍:松田正久と政党政治の発展:原敬・星亨との連携と競合 (MINERVA日本史ライブラリー)