学究:徳富蘇峰(32)関連史料[31]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

____________________________

57.1908年(明治41年) 2月 24日 「●島川領事追悼會」

一部引用↓

「瀕死の病軀を捧げて國事に盡瘁し遂に滿洲の一荒驛に其命を隕したる吉林領事島川毅三郎君の雄魂を弔慰すべく君が生前の知友たりし珍田、山座の外務省連、福島、神尾の諸將軍並に徳富猪一郎等の諸氏相計り昨廿三日午後一時より築地本願寺に追悼會を開きたり」

築地本願寺において開かれた「島川毅三郎追悼会」の様子を描いた記事。

 島川毅三郎は、明治期の外交官、「入蒙の先駆者」(『東亜先覚志士記伝 中巻』P200参照)と呼ばれる。清国公使館付通訳官や吉林領事の役職につき、日本と清国との間で起きる諸問題(「間島問題」など)の解決を試みた人物である。

 史料中の「山座」とは、明治期に活躍した外交官・山座円次郎。ポーツマス条約の締結時に、講和全権大使の小村寿太郎随行して、補佐役として活躍。その他、英国大使館参事官、北京駐在特命全権公使を務めた。また、玄洋社社員として大陸浪人の活動を政府側(官僚側)からサポートし、大陸浪人と政府のパイプ役を果たした。

 史料中の「神尾」とは、上記の島川が清国に足を踏み入れる上で関係する「神尾光臣」のこと。神尾は、日清戦争時に第二軍参謀、日露戦争時に歩兵第二十二旅団長、第一次大戦では第十八師団長を務め、最後には陸軍大将の位についた明治・大正期を代表する軍人である。神尾と島川の関係は、陸軍内における「上司と部下」という関係性であった。ちなみに神尾は、『カインの末裔』『或る女』などの著作で知られる有島武郎の義父にあたる。

 

*島川毅三郎関連書籍:東亜先覚志士記伝 (上) (伝記叢書 (254))

 山座円次郎関連書籍:福岡が生んだ硬骨鬼才外交官 山座圓次郎

 陸軍関連書籍:写真で見る明治の軍装

        明治維新と陸軍創設