学究:高嶋米峰(31)関連史料[30]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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42.1921年(大正10年) 7月 18日 「個人床次氏の指導意見 昨夜佛教家の招待宴で披露」

全文引用↓

「昨夕六時から、高島米峰、加藤咄堂兩氏肝煎りの内相主催佛教家招待があつた晩餐終つて懇談會に移り内相は

 神戸大阪の勞働運動を述べて其悪化を憂ひ勞資協調を説いて資本家の自覚は必要だが現在の暴力沙汰は不合理的なる故嚴峻に之を取締るべし

 と民力涵養の急につき一場の談話を爲し澤柳博士は

 日本が東西文化の融和を爲し世界に貢献するの道は、第一社會問題の解決、第二家族制度の精神復活にありとし、國體の精華も忠孝の精神も時代に適應して内容を充實すべし

 と説いて耳を傾けしめ、安藤代議士は

 内相、澤柳博士の談に依て社會指導の輪廓を認め得たり只願くは其の輪廓内に如何なる圖案を畫くべきやを知りたし要するに民力涵養の内容充實に就ては深く研究を要せん

 と論じ、澤柳博士之に酬ゆる所あり、次で渡邊ドクトルは

 勞働問題の解決には教育の平等主義が肝腎なり

 と言ひ、椎尾博士は

 民力涵養の内容を充實すること宗教家の利用を眞面目にすること

 等に就て希望し、加藤、柴田、楠原氏等も亦一言し最後に高島米峰氏は

 本會は大臣の招待でなく一個人床次氏の招待なり願くは今後此會を益々平民的とし時々會合したし

 と希望し十時半散會した來會者前掲の外左の如し

 村上博士、藤岡博士、常盤博士、片山醫學博士、前田博士、渡邊海旭、島地大等、木山十彰、○(川?、田?)子社會局長、和田對白、安藤嶺丸、河瀨秀治」

⇒内相・床次竹二郎により開かれた宗教者招待の懇談会の様子を描いた記事。

 始め床次は、大正期に頻発していた「神戸大阪の勞働運動」についての不安を洩らし、その暴力性の解消への意志を示している。そのコメントに対する有識者の反応は以下のようなものであった。

 澤柳政太郎「日本が世界に貢献する道としては、①社会問題の解決、②家族制度の精神復活、があげられる」

 安藤正純「床次・澤柳が説く「社会問題の解決」には同意。ただ、重要なのは「どうやって社会問題の解決に臨むか」という内容の方である」

 渡邊海旭「労働問題の解決には、教育機会の平等が重要」

 椎尾弁匡「民力涵養を進めていく上では、宗教家の活用を真剣に考える必要がある」

 高嶋米峰「床次氏は、一個人として、今後もこのような懇談会を開いてくれるとありがたい」

 以上の発言者名を見ても分かるように、その多くが何らかの形で「宗教(仏教)」と接点を持つ人物である。「社会問題(労働問題)」の解決に「宗教者」はどのように寄与できるのか、という問題提起が、この懇談会の中心に据えられていることが分かる。

 河瀬秀治は、明治・大正期に活躍した官吏・実業家。フェノロサ岡倉天心とともに日本美術界の発展に貢献。また、商業会議所設立、『中外商業新報』創刊、富士製紙会社創立など、様々な事業を立ち上げた。今回の懇談会では、「社会問題(労働問題)」に関する議論が中心となっていたため、企業側・雇用者側代表として招待された可能性が高い。

 

*床次竹二郎関連書籍:首相になれなかった男たち: 井上馨・床次竹二郎・河野一郎