学究:高嶋米峰(25)関連史料[24]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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36.1920年(大正9年) 10月 5日 「鉄箒 狭量と迎合」

全文引用↓

「♢佛教國たる日本に於て、基督教徒が、日曜學校大會を開催するといふのだから、そのプログラムの中には、當然、佛教徒日曜學校の代表者を、招待するといふ一日が、無くてはならない筈だ。それに對して、答體的に、佛教徒が、萬國日曜學校大會の代表者を、招待するといふ順序となつてこそ、ここに初めて、信仰を異にする世界の人々も、同一目的の上に立ちては、隔意なき交換は出來るといふものではないか。
 ♢然るに、基督教側にその用意を缺いたといふことは、國際的儀體とかいふやうな點から考へても、確に手ぬかりであつたに相違ないのみならず、佛教徒側から、歓迎會を開き、午餐會を設けて、基督教側の人々を、招待しやうといふことを交渉したのに對してさへ、快諾を與へなかつたといふのは、一體どうしたものだ。
 ♢又、佛教徒側も、まづ、基督教側から、特に招待せられるといふをさへないといふのに、多少の侮蔑を感じさうなものだのに、そこは佛陀無限の大慈悲心から却て逆に基督教側を歓迎し午餐會まで催さうといふのは、見上げた態度であると一應は讃美してもよい。しかし、さうした好意さへ、快よく受け入れないといふやうな狭量なものに對して、御機嫌を取つてまで、強ひてこちらの好意を受けて貰はうといふ迎合的態度は、恰も振られた女の尻を追ひ廻す、痴漢の醜さではないか。殊に、基督教側の日曜學校大會と、日を同じうして、少年少女大會を開催し、ヤレ祝辭を送るの、ヤレ花輪を贈るのといふのは、あまりに自ら卑しめ、自ら輕んずるものでないか。
 ♢佛教教理の大要や、佛教徒の事業などを紹介するために、歐文の印刷物を贈る位のことは、是非ともなさねばならぬ仕事であるが、それ以上の事は、さうした事情の下に、強ひてやるには及ばないことだと考へる。それよりは、寧ろ佛教各宗間の不和合とか、宗派内に於ける小紛争とか、徒らに家醜を擧げて、遠來の珍客に、内兜を見透かされるが如きことの無いやうに、相警むることが、○に必要なことではあるまいか(高島米峰寄)」

⇒この史料は、基督教徒により催された「日曜學校大會」に関するもの。

 一つ目の♢では、基督教徒が開催する日曜学校大会に、「佛教徒日曜學校の代表者」が参加することの意義が述べられている。「日曜学校」という共通項がある中でなら、異なる宗教同士であっても交流することが可能になる、と執筆者は語る。

 二つ目の♢では、上記のような意義があるにもかかわらず、日曜学校大会に佛教徒が呼ばれることはなく、また仏教徒側から基督教徒側を招く会を開くと宣言しても、芳しい返答がなかったという現状を嘆いている。

 三つ目の♢では、日曜学校大会に招かれなかったにもかかわらず、基督教徒のための会を催そうとした態度には評価できる点もあるが、一方で基督教徒側の「狭量」が明らかになった状態で、それでもご機嫌を取ろうとする態度には、「恰も振られた女の尻を追ひ廻す、痴漢の醜さ」があると批判している。また、「殊に、基督教側の日曜學校大會と、日を同じうして、少年少女大會を開催し、ヤレ祝辭を送るの、ヤレ花輪を贈るのといふのは、あまりに自ら卑しめ、自ら輕んずるものでないか。」とも述べている。

 四つ目の♢では、高嶋米峰の総括として、佛教徒側のするべきことは、日曜学校大会関係者に対しては、「佛教教理の大要や、佛教徒の事業」などについて外国語で書いた書籍を贈る程度にとどめて、それ以上のことはするべきではないと説く。本当に仏教徒側がするべきことは、佛教の各宗派の間で生じる衝突や宗派内部での闘争を少しでも解消することである、とも主張している。高嶋米峰の超宗派的性格が読み取れる史料であると言える。

 

*日曜学校関連書籍:教会教育の歩み―日曜学校から始まるキリスト教教育史

          日曜学校ハンドブック―『カテキズム教案』を用いて

          ミッション・スクールとは何か―教会と学校の間