学究:徳富蘇峰(25)関連史料[24]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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48.1905年(明治38年)3月11日 「●首相邸晩餐會」

全文引用↓

「桂首相は一昨日午後七時三十分より米國公使クリスカム、同參事官シドモーア、同武官ギリス、同通譯官ヨラー、同ラフリン、同國従軍記者イーガン、同クナン諸氏を始め小村外相、清浦農相、松平正直男、都筑樞密院書記官長、陸奥廣吉、寺島誠一郎伯、佐藤辨理公使、長岡、村田兩陸軍少將、石井通商、山座政務兩局長、松方正作、吉田要作、頭本元貞、徳富猪一郎諸氏を永田町の官邸に招き晩餐會を催したり」

桂太郎主催の官邸での晩餐会の様子を伝えた史料。徳富蘇峰と政治権力との距離が垣間見える。

 史料の始めの方に並ぶ人物は、すべてが米国出身の人物。二人目の「同參事官シドモーア」は、確信をもって言えるわけではないが、地理学者で親日家として知られるエリザ・ルアマー・シドモアの兄・ジョージ・シドモーアの可能性が高い。ジョージ・シドモーアは、1884年から1922年まで日本で務めた外交官で、記事の書かれた時期と活動期間が一致する。妹のエリザについては、東洋旅行での見聞を数多くの著作に残しており、また、1896年6月15日に発生した明治三陸地震津波の被災地に入って取材し、"The Recent Earthquake Wave on the Coast of Japan"を『ナショナル・ジオグラフィック・マガジン』(1896年9月号)に寄稿している。そこで用いられた「津波Tsunamiという言葉が、英語文献で現在確認できる一番古い使用例とされる。

 寺島誠一郎は鹿児島の生まれで、ペンシルバニア大学やパリ法科大学で学んだ貴族院伯爵議員。大日本帝国憲法下の貴族院における政党・院内会派の一つである研究会(貴族院最大会派)に所属した。

 松方正作は、松方正義の次男。外務書記官や特命全権公使、猪苗代水力電気取締役などを務めた。

 吉田要作は明治~昭和期に活躍した外交官。オランダのハーグ公使館やソウル公使館での赴任を経て、明治23~25年に鹿鳴館館長を務めた。外交官としての優れた活躍から、イタリア王冠勲章や赤鷲第四等勲章、レジオン・ド・ヌール勲章オフィシエ章が授与されている。

 頭本元貞は、東京大学予備門、札幌農学校出身のジャーナリスト。『ジャパンタイムズ』や『ヘラルド・オブ・エイジア』などの情報媒体で文筆を揮い、また伊藤博文渋沢栄一から重宝された。

 

桂太郎関連書籍:桂太郎―予が生命は政治である (ミネルヴァ日本評伝選)

         桂太郎 (人物叢書)

 エリザ・ルアマ―・シドモア関連書籍:シドモア日本紀行: 明治の人力車ツアー (講談社学術文庫)

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