学究:徳富蘇峰(20)関連史料[19]

前回同様、朝日新聞掲載分から確認していきたいと思います。

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40.1903年(明治36年) 8月 17日 「●文壇週報 文壇子」
一部引用↓

「◉新聞紙上、近頃仰山に讀み受たる社説は、徳富蘇峯の『仰山病』なり、蘇峯、仰山を解して曰く「仰山病とは何ぞや、仰山とは仰山らしく吹聴するなり、大層らしく廣告するなり、大袈裟に輪を掛けて稱道するなり、如上の病症は、日常の新聞、雜誌、其の他の刊行物によりて最も分明に看取するを得べし、吾人は絶對的に仰山を非とするにあらざれども、仰山らしく吹聴する丈、それ丈その香味は減ずるが如く感ずるを禁ずる能はず」結論に曰く「人の言語文字は何處迄共思想観察を精確に代表するを得可き乎是れ吾人の斷言する能はざる所なれども吾人は及ぶ可き丈は自から欺かず人を欺かざることを期せざるべからず、誇張は則ち一種の虚僞にして不精確も亦た虚僞の一類たるを知らば之を○くるに於て決して餘力を剰す可きにあらざるなり」能く云ふた、世には腰○三千、全く一社の派遣記者として南北兩清を跋渉観光せしむる幾月、歸來その観察のプロダクシヨンは陰々として紙面に横溢し自ら其紙の重を爲す云はば微力の一新聞社としてはなかなかの大奮發なるも、その往くさ歸るさに曾て派遣云々を六號活字にてだに(仰山どころか)吹聴せざる新聞紙もあれば、三里先に社員を派遣するにも本名雅名迄附け、二號活字で仰山に吹聴せねば氣の濟まぬ新聞紙もあり、能く云ふた蘇峯能く云ふた(此一項陸沈堂主投稿)」 

 ⇒明治36年時に徳富蘇峰が主張していた「仰山病」論に関する記述。「仰山病」とは、物事を大げさに言いたがること、つまり誇張・針小棒大が蔓延することを指す言葉で、その症状は「新聞」「雑誌」で明瞭に現れているとする。

 この記事の執筆者は、蘇峰の「仰山病」論を「能く云ふた」と評価する。その理由として、どうでもいい内容のもの(今回は、記者の「派遣」に関するもの)が、新聞紙上で「六號活字」「二號活字」を用いて報道されていた例が挙げられている。ちなみに「六號活字」「二號活字」とは「号数活字」の一種で、最も大きい活字を初号とし、次に一号から順次小さくなり八号にいたる、九段階の和文用の活字である。よって「六號活字」と「二號活字」では、後者の方が文字が大きい。

 

*「「真実」が歪められるということ」に関連する書籍:

 「ポスト真実」の時代 「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか

 「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方

 「ポスト真実」にどう向き合うか (「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」記念講座2017)

 「ポスト真実」の世界をどう生きるか―ウソが罷り通る時代に

 

41.1903年(明治36年) 8月 22日 「●人」
一部引用↓

「▲徳富猪一郎氏 昨日名古屋に赴く」

⇒徳富猪一郎の動向が、新聞紙上で伝えられている。